震災が起きてから2カ月以上経ちました。 今朝の新聞を見ると 行方不明者がまだ5000人以上。 この中のほとんどは 死者の中に やがて吸収されるのでしょうけれど たとえそうでも、早く見つかってほしい。
余震はまだ続いています。 忘れたころにまたぐらっと これからも 油断ならない日が続くのでしょう。 昨年、足立さんがおっしゃったとおり 本当に2011年は 待ったなしの日々ですね。
もう3月11日以前には戻れない。 震災がないまま過ぎていたら 今の自分は何を考えていただろうか? と2日に1度は思う日々です。
原発、全然収束していないのに 主要なメディアに報道される機会が減るにつれ 人々の意識からは薄れていっているように思います。 福島始め、被災地の復興 それを願う動きは 叫ぶ声は まだまだ消えていないけれど 地震と並行して あるいは もっと危険度が増しているのは 多分 原発。
浜岡原発がたとえ数年でも停止したのは 最大不幸中の 幸いでしょうか? あたり前 と書きたいけれど 世のお偉いさんの発言を見ていれば あたり前のことを起こすことがいかに大変か。
日本は原爆で 核の恐ろしさを知り たくさんの犠牲をしいて 戦争も原爆も乗り越えてきたはずなのに なぜ その核の恐ろしさを世界の中でも 体感している日本が 50基以上もの原発をかかえているのか? エネルギー問題と、核武装による 他国への脅威の一石二鳥?
これを理論づけるために たくさんのお偉い学者が借り出されて たくさんのお金が国の間を行き来して たくさんの政治家が加担したのでしょう。 そして、一部の国民には 先に甘い蜜を吸わせて 目くらましをした のでしょう。
国民は政治家の玩具でも 実験台でもない。 たぶん。。とか おそらく、、 まず間違いなく。。 で 人の命を 一部の人の利権を 天秤にかけないでほしかった。
逝ってしまったひとは 帰ってこない。 原発を進めた人たちは 自分以外のすべての家族が 地震や 放射能でやられても まだ原発の可能性を追求するのだろうか? 原発の安全性をうたうのだろうか?
浜岡原発 T社の元設計士は 安全性が確保されていない設計が 無理やり通されて 施工が着手され 完成されてしまったことを 勇気ある告発をしました。 一部には報道され、すぐに消されました。
中国では、原発基にかかわるトラブルは 過去に何度も起きているけれど それを政府がもみ消していること この時期に 世界にリークされています。 日本の、他の原発が安全である保証は まったくなく 現在もちょこちょこ報告されいて それを ものすごく問題なさげに 報道しています。 その体質にそもそも問題があるはずなのに。
福島のこどもたち 本当に安全でしょうか? あれほど、安全だと言っていた原発の状況 まったく違っていること 小出しにすこしずつ 最近やっと事実を 出してきています。 世間の関心が少し外れてきたこの時期を 待っていたかのように
外国からの情報は もっと正確で早かった。 それを全否定して国民には まやかしの安心感だけど 1か月以上も与えていて それが 本当に国民のためになるのだろうか?
国民の安全よりも 補償問題とか、責任問題とか そちらの方とまた天秤にかけて 結論を選ぶ あるいは 安全基準を下げて 無理やり安全にしていないか?
放射能汚染で 水の安全性が問われた時 乳飲み子の抱えたお母さんは 血の気が引いたことでしょう。 計画停電で 必要な電源が奪われ 医療器具が使えなくなり 命を落としてしまったひとたち 無念であったに違いありません。
福島のこどもたちの健康の管理を これから先、生涯にわたってしていってくれるんだろうか?
政府のひとたちは、自分の子供や孫たちが 現地にいたら やはり大丈夫 安全だといって 通わせるだろうか?
核武装するお金で 新しいエネルギーの可能性は みつけられなかっただろうか? 世界の人たちは 脅威を見せつけ合うよりも 共通の平和のエネルギーや目的を 見いだせるはずなのに 今まで何をしてきたのだろうか?
北朝鮮の核問題を 非難する資格は 日本にあるのだろうか? 国民を脅威のまとにするという点で 何も変わりはしない。
国民の利益と安全の基準は どこにあるのか 誰が決めるのか
せめて 利益にまどわされてはいけないはずの 人たちは 正しい指針を打ち出してほしい。 あるいは、 代替案をこれから必死で打ち出す 一部の国民の声を 聞き届けてほしい。
そうしないと 同じことは これから 幾度もおきてしまうように思う。 事実を知っても ほとんど何もできない 一市民だから 余計に はがゆく より信頼性のおける国に 変わっていってほしいと願います。
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